『ら・かんぱねら』鈴木一美監督ロングインタビュー

現在上映中の映画『ら・かんぱねら』
鈴木一美監督にお話を聞いた。

希望を見いだせる映画を

——現在上映中の『ら・かんぱねら』ですが、海苔漁師が独学でピアノを弾くという、一風変わったお話です。なぜこの題材で映画を撮ろうと思ったのですか?

まさしく変わってるからですよね。どんな職業でもピアノを習っている人はたくさんいると思うんです。でも一次産業に関わっている人で、実際に演奏する側に回って弾き切ったっていう例はなかったと思うんですね。やっぱり難曲と言われる、世界のコンクールの課題曲にもなる曲を独学で、譜面もなしで弾いたっていう事実が驚きで。皆さん50という年齢を境にして、子育てが終わって、家のローンも終わって、「さあ、後半戦どうしようか」っていうひとつの課題を抱えて生きてると思うんですよ。そんなお客さんが映画を観たときに、「もしかしたら自分もやれるかもしれない」っていう希望を見いだせるような題材だなと思ったんです。

——自身で企画もなさったとのことですが、映画を撮影するにあたって、大変だったことはありますか?

全部大変でしたけど、仕事なので苦労したことはひとつもないんです。世間から見ると苦労をしているように見えるかもしれないけど、与えられた仕事をしているのではなくて、自分がやりたくてやっている仕事なので。とにかく映画ができるまで、一生懸命やりきりました。

まさか映画業界に入るなんて

——以前、映画『さよなら、クロ』や映画『野球部員、演劇の舞台に立つ!』でプロデューサーとしてご活躍されていましたが、今回が初監督とのことでした。以前から監督をやってみたいという思いなどはあったのでしょうか。

それはなかったんです。私は横浜映画放送専門学院(現:日本映画大学)の出身なんですが、映画を目指して入ったわけではなくて、東京に居たくて入っただけなんですよ(笑)。卒業してからたまたま映画の現場に1日バイトで行ったことがきっかけで、成り行きでこうなってしまったっていうのが正直なところ。だから今の映画のスタッフさんたちのように、「私はカメラマンになる」とか「私は監督になる」というような思いで映画の業界に来たわけではないので、とても不純ないきさつなんです(笑)。

——実際に今回初監督を務めてみていかがでしたか。

プロデューサーの仕事は客観性がとても大事で、お金の計算とスケジュール、俳優・スタッフの安全、そして作品が出来上がったら興行でどういう展開をするかっていう、絶えず客観性を持ってやっていかなきゃいけないんです。それが監督になると、客観性よりも主観性が必要になってくる。現場のど真ん中に絶えずいなきゃいけないっていう。今回は新人ということでしたが、カメラの丸池さん、照明の山川さん、記録の清水さんらのサポートがなかったら、多分出来ていなかったと思います。現場でプロデューサーをやって分かったつもりでいたことでも、監督をするときに分からないことが多々あって、自分の未熟さとか、いろんなものがよく分かった現場ではありましたね。例えばカット割りです。基本的なパターンは分かっていても、カメラマンのアイディアや照明の光具合で、自分が意図するものと違うようになった画が結構あるんですよ。でもそっちの方がいいということも多々ありました。

支援する会に心からの感謝を

——佐賀での撮影中、印象に残っていることなどはありますか?

この映画が完成したのは、500%、1000%が、佐賀の「ら・かんぱねら」を支援する会の皆さんのお陰なんです。その人たちが土台を作ってくれているから、こっちが自由にやれていることだし。今でもイオンシネマ佐賀大和で継続してお客さんが入っていくのも、映画の内容もあることながら、支援する会の皆さんが観に来るお客さんを、絶えずサポートしてくれているからだと思うんです。そういう人たちの継続が、去年から1年以上続いているんですよ。それが、この映画を生きた映画にしているような気がするので、佐賀の支援する会の全ての人と、この映画を支えてくれた多くの佐賀市民、佐賀県民の皆さんのお陰だっていうのは本当に強く思っています。

——撮影中、支援する会の皆さまから炊き出しなどもあったとのことですが、支援する会の皆さまとの交流についてお聞かせください。

例えば炊き出しと言っても毎日豚汁ではなくて、海苔のスープだとか、玉ねぎスープだとか、いろいろ用意してくれたんです。車両部(スタッフや役者を乗せる車の運転手)なんかも全部支援する会がやってくれたんですよ。だからスタッフとの交流がものすごくあって。海苔師の皆さんからは最高級の海苔の提供があったり、佐賀らしいこともちゃんと体験できました。私に限らず、東京から来たスタッフや俳優さんは、佐賀の人たちとの交流が深くなっていったんじゃないかなと思いますね。

ピアノだけではなく人と人との描写も

——劇中家族の描写が印象的でした。ご自身の経験など反映されたことはあるのでしょうか。

今回の映画で言うと、夫婦の絆、親子三代の家業の後継問題、有明海の環境問題、それと海苔師の仲間の助け合いだとか、地域に根差した人たちの交流があるじゃないですか。その中で主人公は生きてるんじゃなくて生かされてるっていう、そこをちゃんと描けば、単純なピアノを練習する男の話にはならないだろうなと思ったんです。さらに、先行きの不安、老いていくことの不安っていうようなものを主人公に重ねれば、ピアノや海苔漁だけでなく、もう一つの主人公の葛藤が描けるかなっていうことで、シナリオに書き出したんですよ。

完成した映画への正直な思い

——実際に完成した映画をご覧になっていかがでしたか?

台本通りにはなっているんですけど、「あ、こういう映画になったんだ」っていう思いが正直にあって。やっぱりシナリオの段階で想定した映像と、実際に現場で撮れた映像の差はあるんですよ。編集に入ると、ストーリーは変わらなくても、前後のカットの入れ替えをすることによって、意味づけが変わってくるっていうことが当然あるので。編集が終わった時点で私としては不満が残るというか、不満が残るのは自分の未熟さでもあるんですけど。「できたよ」じゃなくて「こういう映画になったんだな」というのが正直な気持ちですね。でも音楽・坂田明さんの「浜辺の歌」とかテーマ曲はとてもよかったので、それにものすごく助けられた思いはあります。

「ラ・カンパネラ」ともう一つのテーマ曲「浜辺の歌」

——「浜辺の歌」がオープニングやエンディングで印象的に使われていましたが、この曲を使うという構想は当初からあったのですか?

これは当初からありました。「ラ・カンパネラ」がクラシックだから、当然劇伴も普通だったらクラシック音楽になると思うんですよ。ただそうすると、「ラ・カンパネラ」が薄くなってしまうと。薄くさせないために違うカテゴリーの音楽にしないと、「ラ・カンパネラ」ができないなと思ってたんですよ。あるときに坂田さんの「浜辺の歌」をちょっと聴いてみてと言われて、聴いたら「あ、これは奈々子(主人公の妻)のテーマ曲になるな」と思ったんです。

——奈々子と巖が2人で歌うシーンはとても印象的でした。奈々子がピアノを弾けなくなるシーンも、心情とマッチしていました。

色んなバージョンで「浜辺の歌」を使っていますよね。青春時代はピアノと合唱で、親の介護のところは2人の歌声、奈々子のストレスのところは自分のピアノで。だけど全体ではサックスの「浜辺の歌」がテーマになっていると。時生が弾く「ラ・カンパネラ」は変化があるようでないんですよ。だから「浜辺の歌」で変化をつけてあげないと、クライマックスのところにいかないなってことで、そういう風にしました。

家族の交流の題材になる作品に

——最後になりますが、映画を観に来る皆さまに、一言お願いします。

「ラ・カンパネラ」という曲を盲目のピアニスト、辻井伸行さんは5分で弾きます。これが大体世界のピアノコンクールのスピードだと思うんですよね。一昨年亡くなったフジコヘミングさんは大体5分半前後で弾く。これがトッププレイヤーの時間だと思うんですよ。モデルの徳永義昭さんは大体7分前後で弾く。ギリギリここまでが「ラ・カンパネラ」が成立する長さだと思うんですけど、映画の中では、伊原剛志さんが11分かかって、吹替なしで弾いているんです。半年たらずの練習でですよ。11分かかってでも弾き切ったっていうのは、とても重要なことで。徳田時生っていう、伊原剛志っていう男が弾いた「ラ・カンパネラ」なんです。これが映画のストーリーからいくと、妻に捧げるスローバラードに変わっていくと。それに変わるところが、僕も意図していなかったし、伊原さんも意図していなかった。結果的にそこに収斂していったのが、収穫だったかなと思っています。

——ぜひこの映画を皆さんに観てもらいたいですね。

そうですね。ただ、もちろん映画館で観てもらう前提にはしているんですけど、二次上映の学校とか市民ホールとかで多くの人に観てもらいたいんです。さっきお話した夫婦の絆だとか親子三代の家業の問題だとかいろんなものが詰まった内容になっているもんですから、小学生から老人までの親子三代が一緒になってもらえる状況がつくれれば一番いいなと思っています。映画を観た後の夕食の合間に、孫が爺さんに「あのシーンはなんなんだ」と教えを乞うとか、そういう交流の題材になるような映画になればいいなと思って作っていました。これからは、そういう上映活動をしていきたいなと思っています。